« 2010年06月 | メイン | 2010年08月 »

2010年07月 アーカイブ

2010年07月02日

若松監督、パリへ!~FESTIVAL PARIS CINEMA~

若松監督がフランスで開催される、パリシネマの為、7/1にフランスに旅立ちました。
今回のパリシネマでは、「キャタピラー」の他に、若松監督の旧作が上映されます。4日には講演会、そして5日に「キャタピラー」の上映が行われます。

監督の渡仏に先駆け、フランスの大手日刊紙「リベラシオン」ではパリシネマに若松監督が招待されたという記事が大きく掲載されました。
若松監督の旧作、そして「キャタピラー」がフランスの観客の方にどのように受け止められるのか、とても楽しみです。
パリシネマHP http://www.pariscinema.org

2010年07月06日

パリ熱狂!若松監督inパリシネマ


今回のパリシネマ(7月3~13日)は「キャタピラー」以外にも多くの若松監督作品が上映されます。日本特集のなかで、若松孝二へのオマージュと題された特集が行われ、講演会、60年代の作品のオールナイト上映、『連合赤軍』の上映と討論が行われます。そして今回パリシネマでは、ゲストの寺島しのぶさん特集上映も行われます。
7月3日のオールナイトでは、『胎児が密猟するとき』、『犯された白衣』、『壁の中の秘事』、『ゆけゆけ二度目の処女』、プロデュース作品の大島渚監督『愛のコリーダ』が上映されました。10数年前にフランスで最初に若松孝二特集が開かれたエトランジェ・フィルムフェスティバルと同じ会場であったため、当時のエピソードなども語られ、翌朝の6時終了という長丁場にも関わらず、多くの観客の方が集まり会場は熱気に包まれていました。
翌4日にはフランス国立図書館にて、リベラシオン紙のフィリップ・アズーリさんが司会で若松監督の講演会が行われました。『キャタピラー』を含めた数本のヴィデオクリップを上映しながら、若松監督の演出に具体的に迫る内容で、集まった100人近い人々は熱心に耳を傾けていました。
そして『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』の上映後には、30分以上に及ぶ討論が行われ、フランスと日本の政治状況の差異から制作の経緯に至るまで様々な内容の議論がなされました。
監督は上映、イベント以外の時間はテレビ、ラジオ、雑誌などのインタビューが続いています。パリシネマの様子、写真などは後日まとめてブログでアップしますので、楽しみにしてて下さい!

2010年07月07日

若松監督&寺島しのぶさんinパリシネマ



パリシネマには若松監督、そして寺島しのぶさんが招待されました。「キャタピラー」の仏語タイトルは『Le Soldat Dieu(神の兵士)』となっています。


7/3オールナイトは、Forum de imageで21:30から翌6:00まで行われました。『胎児が密猟するとき』、『犯された白衣』、『壁の中の秘事』、『ゆけゆけ二度目の処女』、大島渚監督『愛のコリーダ』の上映、そして若松監督の舞台挨拶・質疑応答がありました。
とても熱気溢れる一夜となりました。


7/4若松監督講演会inフランス国立図書館
司会リベラシオン紙のフィリップ・アズーリさんと。



7/5『キャタピラー』フランスプレミア上映がMK2 Bibliothequeで行われました。
300席を超える会場が超満員で埋まるなか最初に舞台挨拶が行われ、映画祭ディレクターのオード・エスベールさんの紹介で、若松孝二監督、寺島しのぶさん、フランスの配給会社、ブラックアウトのビックワン・トランさんが登壇しました。上映後には質疑応答が行われ、監督、寺島
さんの作品に対する熱い思いが語られ、ほとんどの観客が席を立たず熱心に耳を傾けていました。映画祭関係者は、多くの観客が上映後も会場に残っていることに驚いていました。


また、上映前には、年末に予定されている『キャタピラー』のフランス公開に向けた取材などが続き、10以上のメディアが訪れました。観客、メディアの反応を含めパリでのプレミアは大成功のうちに終了しました。
これから日本国内での上映、そしてフランスはじめ、世界での「キャタピラー」の上映がとても楽しみです!
今回のブログに御協力頂きました、映画研究者の平沢剛さん、通訳の高橋昌子さんに、この場をお借りしてお礼申し上げます。

2010年07月11日

広島「キャタピラー」先行上映


7/8(木)広島で「キャタピラー」の先行上映がありました。前日にパリシネマから帰国したばかりで、全国、そして全世界を飛び回る若松監督の強靭な体力、精神力にはいつも驚かされます。

岡山でのキャンペーンの後、広島シネツイン本通り館へ若松監督が到着されたのは、なんと夜22時!21時15分からの上映にも関わらず、多くのお客様がいらしてくださいました。そして上映後、若松監督が登壇すると、23時近い時間にも関わらず、舞台挨拶&質疑応答は盛り上がり、予定時間をはるかに越え盛り上がりました。

「日本は唯一原爆を落とされた国。それを世界に知らせたかった。元ちとせさんの歌を聴いたときぶっ飛びました。僕の思っていた歌だったからね。」
元ちとせさん「死んだ女の子」をエンディング曲にした事についての質問に答える中でも、監督のヒロシマへの想いが語られました。原爆をテーマにしたこの歌を元ちとせさんは8月6日に原爆ドームで歌われています。

舞台挨拶終了後にはサイン&握手会が自然とはじまりました。上映後のアンケートにも絶賛の声が多く、「広島の人は必見だ」という感想も寄せられました。全国に先だって広島で公開される「キャタピラー」への感心の高さが感じられる上映となりました。

そして翌9日(金)、シネツインで共同記者会見、テレビ局、ラジオ局とまわり大忙しの1日となりました。監督は「ドームはどちらですか?」と気にしていた監督の為に、キャンペーンを車で回る途中、原爆ドームへ少し寄る事も出来ました。

広島の方に監督の「反戦」への思いが伝わった、とても意義のある上映となりました。そして全国の公開に先駆けて8月6日から公開される広島で、もっと多くの方に観て頂けたらうれしいです。
今回のブログに御協力して頂きました、広島サロンシネマの皆様にこの場をお借りして、お礼申し上げます。

2010年07月16日

PFF東京プレミア上映!満員御礼!!!


7/15(木)、PFFぴあフィルムフェスティバル前夜祭特別上映で、「キャタピラー」が上映されました。東京プレミア上映となる今回、前売り券は早々にSOLD OUTし、当日券も出ない程の人気でした。昨日御覧になる事が出来なかった方、申し訳ありませんでした!

上映後、PFFディレクターの荒木啓子さんのご紹介で、若松監督、寺島しのぶさん、大西信満さんが登壇されました。映画を観終わったばかりの観客の方々は、胸がいっぱいという面持ちで、少しじっとりとした空気の中で舞台挨拶が始まりました。

監督が客席を見渡し、「こんなに人がいっぱいだとは夢にも思わなかった」と言うくらい、300席以上の観客席は、お客様、報道陣でびっしりとうまっていました。寺島さん、大西さんも東京の初お披露目に多くの方がいらして下さった事に胸がいっぱいの様子でした。

荒木さんから、海外、国内での上映の様子を聞かれ、監督は、沖縄の人にきれいな戦争映画ばかりの中で、軍の為というのではなく、銃後の苦しみを描いてくれてありがとうといわれたというエピソードを話されていました。寺島さんは7月に行ったパリシネマで、上映後静まりかえった中登壇したら、スタンディングオベーションで迎えられた事、観客の方から勇気のある日本の戦争映画と言われ、戦争の怖さを世界の人々はきちんと知っているのだと感じたと話されました。大西さんは初めてのベルリン映画祭で、「お前はちゃんと歩いてるじゃないか!」と驚かれたというと、観客席は笑いに包まれていました。

寺島さん、大西さんをなぜキャスティングしたのか聞かれ、「大西は目が印象的なのと、連合赤軍の撮影の時に、(山荘のシーンで)カレーを食べるのが、うまかったから。寺島さんはダメ元でオファーしたら引き受けてくれた。ノーメイクで芝居をしたいと言ってくれた時は本当にうれしかった。皮膚が芝居をしてくれる、そんな女優さんは寺島さんしかいない!」と言うと、寺島さん、大西さんは照れていました。
寺島さん、大西さんは「赤目四十八瀧心中未遂」で共演されており、寺島さんは大西さんとはその時にやりつくした感があったけれど、「キャタピラー」はその時の信頼があったからこそ出来たのだと思うと話されていました。

舞台挨拶、Q&Aの時間もあっという間に過ぎ、ロビーにはパンフレットを買おうとするお客様で長蛇の列が出来ていました。サイン入りのパンフレットが買えなかったお客様は、監督、大西さんの周りに集まっていました。監督より3歳年上の女性の方は「当時の色々な事を思い出しまし、胸にしみました」とおっしゃっていました。
監督、大西さんの周りには多くのお客様が集まり、閉館時間を過ぎてもロビーには人があふれていました。


東京プレミア上映となる、PFF前夜祭は大盛況の内に終える事ができました。PFFでは、「こわくない!!はじめての若松体験」として若松監督の旧作の上映が始まります。(詳細はトップページ「旧作情報」を御覧下さい)
また8/14(土)の公開まで待てない!という方は、8/3(火)テアトル新宿での先行上映に是非いらして下さい!
そして昨日の上映にいらして下さった皆様、本当にありがとうごいました!!!

7/12(月)静岡先行上映


ブログが前後していまいますが、今週7/12(月)に静岡シネ・ギャラリーで先行上映と若松監督の舞台挨拶がありました。
「この映画をどうしても撮ろうと思ったのは、前作の連合赤軍の撮影中に、どうして若者が大学に入学して、家も貧しくない学生が、ああいうことをやるのだろうと考えた時、前の時代の親たちのことも、均等に描かないと駄目だと思い、前の戦争は何だったんだろうと考えたのがきっかけです。この映画は大変重いと皆さん言いますけど、ずっと戦争は嫌だってことだけ、少しでもいいからわかって下されば、僕は作った意味があったと思っています。」と監督が挨拶すると、大きな拍手に包まれました。
会場は満席で、舞台挨拶のあとのQ&Aもとても白熱したものとなりました。
今回のブログは静岡シネ・ギャラリーの皆さまに御協力頂きました、ありがとうございました。
また先行上映情報など、TOPページの「イベント情報」に随時アップしていきますので、是非チェックしてみて下さい!

2010年07月21日

PFFにて瀬々敬久監督とのトークショーが行なわれました



7/20(火)PFFぴあフィルムフェスティバルで行なわれている若松孝二特集My Best Wakamatsuでゲストに瀬々敬久監督を迎え、『性賊/セックスジャック』についてトークショーがありました。
まずは瀬々監督が壇上にあがり、「ぼくがピンク映画に興味をもった一番の理由は、若松監督がいたのが大きい。実験的で二十歳前後の自分は強い感銘を受けた、監督の著作「俺は手を汚す」を読み、手を汚してまで映画を撮る。今日はその中でもっとも好きだったセックスジャックについて話を聞きたいと思います。」と挨拶されました。
それをうけて若松監督が「ピンク映画の黒澤です」と、続けて「セックスジャックは冒頭の部分、学生運動のゲリラ撮影からはじまり、70年代安保で、その日革命が本当に起きると思った、その場面を撮らなくてはいけないと思った。ただ、その中で、倒れていた血だらけの学生を他の派の人たちは助けない、見向きもしない。これでは日本はどうにもならないと思って個の戦いを撮ろうと思い、一人の主人公をたてて撮ることにした。」と映画を撮ることになった経緯を話しました。瀬々監督は「80年代にはあの時は素晴らしかったという空気に満ちていた、どうせそんなものだろうと思い次に行かなければと考えた、映画を見てすごくシンパシーを感じた、腑に落ちる映画だった」と映画を見たときの事をはなされました。
脚本の足立さんの話になると、「いつも飲みながら話をしていた、そうすると2,3日で書き上げてくる。誰が見ても難しいものはすべてカットした、自分の分からないものはとらない。そのことで未だに足立はおこっているんだ」そして、「ただセックスジャックはOK。難しく書きようがない、現実があるから、」「役者は助監督をやりながら、演じていた」と当時のスタッフについて話すと
瀬々監督は「自分を監督と呼ばれたい人たちが多い中、若松監督にはみんな若ちゃんと呼んでいて、同志的なものを感じた」とそんな雰囲気に憧れていたそうです。
また、若松監督は「映画は自分一人でやっているわけではない、みんなで撮っている。
プロダクションを作ったのは当時、外国へ行き日本はお決まりの映画ばかりが流行っていたが、日本と違う社会的なもの、自分の好きなことを表現する、自分の好きなものを撮りたいと思った、自由としてのプロダクションを設立した」と独立プロ設立を熱く語られました。


瀬々監督からの質問でSEXのシーンでパンを多様するを意図を聞かれた監督は「尺かせぎかな?自分では意識せずにとったものに海外とかみんな理屈をつけたがるんだ」とその答えには瀬々監督も「ががっかりです」と会場が笑いに包まれる場面もありました。

最後に監督は「何かを作りたいという心があれば、みんな映画は撮れるんだ、志の問題。次のステップに行きたいだけなんだよ」映画を撮り続ける監督だからこその思いを皆さんに伝えていました。


トークショーが終わってのロビーは監督に質問する多くの人であふれていました。
「キャタピラー」監督サイン入りパンフレット発売中です。(数にかぎりがあります)
監督曰く買って損はないとのこと、是非一度手にとって見てください。


My Best Wakamatsuの次のゲストは7/23(金)、阪本順治監督です。

2010年07月27日

Twitter×若松プロダクション???


7/26(月)、国映TCC試写室にて、「キャタピラー」先行有料試写会&若松監督舞台挨拶が行われました。今回の試写会は、会場となったTCC試写室の矢元さんが、Twitterのみで先行上映のお知らせ&参加者募集をするという形で行いました。(なので知らなかった!という方がいらっしゃいましたら、申し訳ありません)
Twitterでのみの呼びかけにも関わらず、会場は大盛況で入りきらなかった方の為に急遽上映が2回になりました。

今回は若松監督や映画が好きな方、政治家の秘書、OL、学生、映画ライターなど年齢も職業も様々な方にお集まり頂きました。「12日間での撮影は、どういう順番で撮っていったのか」「キャストはどうやって決めたのか」「クマさんのような人は当時、本当にいたのか」など、多岐に渡る質問が次から次へと飛び出し、あっと言う間に時間が過ぎてしまいました。
Twitterでの呼びかけで、どこまで集まって頂けるのか少し不安もありましたが、多くの方に楽しんで頂けたようで、ほっと胸をなでおろしています。Twitterやクチコミを通して、「キャタピラー」を一緒に盛り上げて頂ければ幸いです!8月の全国公開にむけて、是非とも宜しくお願いいたします!!!

PFFにて阪本順治監督とのトークショーが行なわれました


7/23(金)PFFぴあフィルムフェスティバルで行なわれている若松孝二特集My Best Wakamatsuで第二回ゲストに阪本順治監督を迎え、『寝取られ宗介』についてトークショーがありました。
前回と同じく先に壇上に上った阪本監督から今回寝取られ宗介を選んだ理由を「最初は天使の恍惚、狂走情死考などと思ったのですが、そういったものは若い人がたくさん見ていて、ファンの人たちも見ていると思う。この作品はその人たちが見ていないと思った。今回のタイトル『こわくない!!はじめての若松体験』にちなんで選んでみました。」とお話いただきました。


続いて若松監督が登壇し「最初はつかこうへいさんの別の作品をやりたくて、でも原作権は他の人がもっていたからこちらをやることになったんだ。」阪本監督のつかさんの作品はなんでもおもしろいかと思うかの問いには、「旅芸人の記録という映画がすきで、そのことが頭にあったのんじゃないかな」とこの作品を撮ることになった経緯を話されました。
また、阪本監督からは「監督には思春期が2つあると思う、田舎の風景とやくざの時代の留置所での時、この作品には監督の郷愁があると思った、家族に対する思いなど、この旅をしていくイメージは監督の中にだけあったのではないか」と言われると、
「ラストは誰にも分からなかった、自分だけ、富士山には腹が立つ、国家のイメージ、いつも何処からでも見ている」と映画のラストシーンについて思いを語りました。
また、撮影の時のはなしになり、そこから監督の幼少期のことを多く話されました。
そして、映画監督は幼児体験が体の一部だと。
監督の作品にも多く出演し、主人公の宗介を演じた原田芳雄さんの撮影秘話などを話になりました。「普段は仲がよいが、撮影になると口をきかない、助監督や他のスタッフとは呑みに行くが自分は誘われない」と当時を振り返り、
阪本監督は原田さんの印象を「原田さんの普段のユーモア、ありきたりではなく、間合い、すきまを感じられ、芳雄さんを見ているだけで楽しい」とおっしゃっていました。

RIMG1105-1.jpg


最後に阪本監督は「若松監督は映画だけで食べていける監督で、言い訳をしない、自分が何を撮りたいかが明確で、そして次につながる、全部をみとどけている。できないけど見習いたい」
それに対して若松監督は「映画は子供、途中ですてたくない。最後までやらないと気がすまない。働くのが好きなんだよ。」と笑顔でおっしゃってました。
最終日に向けて監督の処女作「甘い罠」が上映されることが発表され、阪本順二監督とのトークショーは終了しました。


2010年07月28日

北海道熱烈歓迎!札幌~苫小牧


先週7/21(水)札幌シアターキノ、翌22(木)苫小牧シネマトーラスで先行上映がありました。
先行上映の前に、若松監督、寺島しのぶさんが、上田札幌市長を表敬訪問しました。音楽や映画、文化が大好きな上田市長とは、映画から始まり学生時代の話にまで及び、和気藹々とした表敬訪問となりました。

シアターキノでは2回舞台挨拶があったのですが、どちらの回も満席でした。大拍手と共に舞台挨拶が始まると、会場にはまだ目頭を熱くされている方が多かったのが、印象的でした。舞台挨拶後に、寺島さんが少し興奮きみに「観客の皆さんとすごく近くて涙ぐんでいる人もよくわかるし、なんか皆の気持ちがものすごく伝わってきた」とおしゃっていたように、本当にアットホームな上映会となりました。

翌日、若松監督のみ苫小牧シネマトーラスの舞台挨拶に向かわれました。シネマトーラスでは補助席出すほどの盛況ぶりで、パンフレットも飛ぶように売れていきました。
北海道の多くの方に、楽しんで頂けたようでとてもうれしい先行上映会となりました。そして今回のブログは、札幌シアターキノ、シネマトーラスの方々に御協力頂きました。ありがとうございました。

2010年07月30日

PFFにて石井岳龍(聰亙)監督とのトークショーが行なわれました

7/25(日)PFFぴあフィルムフェスティバルで行なわれている若松孝二特集My Best Wakamatsuで第三回ゲストに石井岳龍(聰亙)監督を迎え、『胎児が密猟する時』についてトークショーがありました。20日から続いた若松監督の特集も最終日を迎えました。

二本立てで上映された時の「水のないプール」と「爆裂都市 BURST CITY」のポスターが会場におかれ、石井監督の登場です。「新宿蠍座で天使の恍惚をみました。これがピンク映画とはなんなんだと思い衝撃を受けた。一種の異様な映画だと思った。今日は胎児が密猟する時について、人間の根源にせまる、神への反逆を描いた映画、どうしてこのような映画ができたか知りたい」とご挨拶されました。
若松監督は「梅雨の季節で朝起きて、窓を開けたこの時期は外でのロケは難しいと思った、部屋で撮ればよい、足立にさっそく電話し、焼酎を飲みながら話をして、2、3日後に脚本を持ってきた。わけが分からない話で、これはダメだと言った。足立はダメだとゴミ箱に棄てて帰る。また持ってくるんだが、あまり変わらない。だからこれは情熱にまけて撮った。撮影時は4、5日みんなを一歩も外に出さなかった」「異様にこもった熱を感じる。それはわざと?」若松監督は「もちろん」と一言。


以前にシナリオを読んだことがあるという石井監督に若松監督は「だいぶ変わってるでしょ。撮影している間にどんどんシナリオは変わるからね、あたまが決まると走りだす。映画はどう撮っても一本筋が通っていればつながるから」とシナリオに縛られない撮影を行なっていると話し。
「役者二人、70分、厳密な構成がなされていると思うのですが」「頭の中に構成があった、大きすぎない空間がよかった、でも出来上がった時、上映は決まらないと思った」と最後に監督は「自分で自分の映画をコントロール。そして次につなげて行く。このことがまた次の監督の作品たちをつなげていくんだ」とこれからも作品を撮り続けること強く宣言していました。


その後処女作の「甘い罠」が上映され、(驚きをもって迎えられました)
PFFの若松孝二特集は終了しました。

About 2010年07月

2010年07月にブログ「若松孝二公式ブログ 最新作速報」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2010年06月です。

次のアーカイブは2010年08月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.37