若松孝二、1936年宮城県生まれ。

1954年、停学処分を3回受け高校を退学。家出して上京、17歳だった。

新宿で映画の撮影現場の用心棒をしたことがきっかけで、テレビ映画の制作助手になる。1963年、26歳で『甘い罠』を監督し、ピンク映画と呼ばれるジャンルを確立する。1965年、若松プロ設立。『壁の中の秘事』がその年のベルリン国際映画祭に出展され、日本国内で波紋を広げる。成人向けの映画でありながら明確なメッセージを持つ作品群は、'60年代後半から'70年代のカンウンターカルチャー・シーンを担い、学生を中心に圧倒的な支持を得た。

1971年、イスラエル占領下にあるパレスティナのゲリラ闘争を描く『赤軍-PFLP世界戦争宣言』を発表。爆弾テロを描いた翌'72年のATG作品『天使の恍惚』とともに、映画が時代を作る、と評された。その後もピンク映画を撮り続ける傍ら、大島渚の『愛のコリーダ』('76年)、山下耕作『戒厳令の夜』('80年)神代辰巳『赤い帽子の女』('82年)などをプロデュースする。

1981年の『密室連続暴行』を最後にピンク映画ではなく、もっぱら一般映画を手がけるようになり、『水のないプール』('82年)『キスより簡単』('89年)『われに撃つ用意あり』('90年)『寝盗られ宗介』('92年)『エンドレス・ワルツ』('95年)などを世に送った。最新作は、2005年7月封切りの『17歳の風景』。

作品は欧米を中心に海外でも高く評価され、『天使の恍惚』が'03年のウィーン国際映画祭に、'04年には韓国の全州映画祭に招聘されている。また、最新作『17歳の風景』は、'05年11月のトリノ映画祭に出展された。

主宰する若松プロには異才奇才が集い、高橋伴明、磯村一路など数多くの監督を輩出している。
これまでの作品数は、100本あまり。若松孝二は、40年にわたり現役で映画を撮り続ける、日本で最もタフな映画監督である。

──「映画監督には時効や執行猶予はないんです。監督は自分の作品にいつも責任をとらなきゃいけない」
と、彼は語る。(『時効なし。』/ワイズ出版から)


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