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2012年12月 アーカイブ

2012年12月05日

「千年の愉楽」テアトル新宿にて先行上映!

いよいよ、来年1月から全国各地で
「千年の愉楽」の先行上映がスタートする。
若松孝二の、最後の歌が、各地のスクリーンに流れる。

全国どこよりも早く、上映を行うのが
1月6日(日)三重県津市の総合文化センターにて。
「ロケ地の三重に、真っ先に作品を見せたい。
なんでもかんでも、東京中心ではなくて」
と願っていた監督の思いを継いで
メインキャストも挨拶に駆け付ける。
こちらの上映会の詳細は近日中に告知予定。

そして、都内での先行上映会は
やはり監督が一番愛した街、新宿にて。
1月17日(木)の夜、テアトル新宿にて。
18時40分と21時20分、2回上映し、各回上映後に
高良健吾、高岡蒼佑、佐野史郎、井浦新らが舞台挨拶を行う。
(登壇ゲストはさらに増える可能性あり)

最後の瞬間まで、次の作品の構想で胸を膨らませて
前に前にと歩いていた若松孝二。
その監督の、最後の現場を、ともに走り抜けた仲間たちが
監督不在の今、作品を送り出すために再び集結する。
現場での、瞬間瞬間の積み重ねのような監督との日々。
作品の中に監督が込めた思い、自らの思い。
それら思いのたけを、集まったお客様と共有するために。

前売りチケットは、12月15日よりチケットぴあにて発売開始。
1800円(税込)
Pコード:550-591
詳細はテアトル新宿ホームページにて。
http://www.ttcg.jp/theatre_shinjuku/topics/detail/17616

若松孝二の笑顔と特別功労賞

若松プロの4階は、賑やか好きの監督の意向で
掘りごたつ風のしつらえになっている。
四季折々に、人が集まり、酒を酌み交わし
ベランダの向こうの御苑の緑や、
さらに向こうに神宮の花火などを眺めて楽しむ。

今、そこには、監督の大きな遺影や
これまで貰ってきたトロフィーや
監督の好きなビールなどが並んでいる。
(ほんとは焼酎水割りを置くべきか?)

そして、ここに並ぶトロフィーが、先日一つ増えた。
全国興行生活衛生同業組合連合会(略して全興連)が
若松孝二に、全興連特別功労賞を授与したのだ。

監督は、映画を愛し、身銭を切って映画を創り
自分の足で歩いて劇場でフィルムをかけた。
「決まったやり方なんて、ないんだ」と
70歳を過ぎても、毎回新しいやり方を考えて挑戦し
時に成功したり、時に失敗したり、失敗しても
「ダメで元々じゃねえか」といって、次の挽回を狙った。
功績を労る、という賞は、確かに監督にふさわしい。

特別功労賞のトロフィーを見下ろす遺影の中の監督は
上々の笑顔を浮かべていた。

DSCN0892.JPG
(真ん中は釜山映画祭の手形。上述のトロフィーは右。
 ベルリンで銀熊を受賞した時の監督の映像のフィルムが入ってる)
監督、おめでとうございます。

いよいよ、今週末から、
新・文芸坐にて若松孝二レトロスペクティブが始まる。

2012年12月06日

12月15日からキネカ大森近作上映スタート!

追悼を越えて、進んでいく。
次々とつながる、「追悼を越えて」イベントの波。

12月15日(土)から、キネカ大森にて
監督の近作4本の特集上映が始まる。
最初の週は「11.25自決の日」と「海燕ホテル・ブルー」
異色の2本立て。
15日初日は「11.25自決の日」上映終了後に
キネカ大森名物のお客様参加型の「しゃべり場」方式の
トークイベントが行われる。
井浦新、大西信満、地曵豪、辻智彦(キャメラマン)らが参加予定。
井浦は、22日から始まる箱根彫刻の森美術館での写真展準備中に
時間を捻出して駆け付ける。
お客様の前で、作品を見せて、直接話しをする。
その事を、極力大切にしようと、コツコツ劇場に足を運んでいた
若松孝二の志を継ぐべく、参加を決断した。

空を切り裂くような冷たい空気の師走にも
みんなの足取りがせわしなくなる師走にも
若松孝二の熱を、味わう夜がやって来る。
しかも、都知事選と衆院選ダブル選挙の前夜でもあり…。

監督、きっと、今のこの混戦模様を見ながら、
マスメディアの発表する世論調査に
バカヤロー!と歯ぎしりしていることでしょう。

2012年12月11日

若松孝二が愛したオリュウの眼差し

「千年の愉楽」のポスターやチラシを、絶賛配布中である。

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監督がこだわり愛した、オリュウの表情が中央にある。
路地を見つめるオリュウノオバのこの眼差しに
監督は執着していた。

来年1月17日のテアトル新宿での先行上映会には
高良健吾、高岡蒼佑、佐野史郎、井浦新らとともに、
オリュウノオバ演じた寺島しのぶも舞台挨拶に立つ。
「新藤監督と乙羽信子さんのように、ずっと一緒に作品をつくりつづけたい」と
クランクアップ後に語っていた寺島しのぶ。
そのコメントを読み、満足げに笑っていた若松孝二を思い出す。

現在、新・文芸坐では、連日、多彩なゲストを招いて
若松孝二レトロスペクティブが進行中。
それぞれの中に刻まれた若松孝二を、各ゲストが
ときに辛口に、しかし情熱をもって語っている。

今週末からは、キネカ大森にて近作上映が始まる。
そして、来年1月6日には、全国どこよりも先に
ロケ地三重にて「千年の愉楽」がスクリーンに登場する。

1月6日(日)
三重県総合文化センター(多目的ホール)
10:00/13:30/17:00
各回上映後に、キャストのトークイベント(1時間)あり。
登壇キャスト:高良健吾、高岡蒼佑、佐野史郎、井浦新
入場料:1000円
※前売り券の販売はありません。当日券のみ。

2012年12月17日

若松孝二は生きている。キネカ大森トーク3時間

15日(土)からキネカ大森で始まった
「若松孝二 追悼を越えて」特集上映。
初日の夜、「海燕ホテル・ブルー」と「11.25自決の日」
二本立て終了後、井浦新、地曵豪、大西信満、
辻智彦(キャメラマン)4名によるトークイベントが始まった。

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監督と共に行った国内外のイベントの思い出、
海外における若松孝二作品の受け止められ方などを
訥々と語り始める4名。
客席からは「三島で記録映像を多様することで
若干物足りなさがある。予算的な問題のためか」
「総選挙前夜のこのイベントは、非常に旬。
三島や連合赤軍など演じて思想的な影響は受けるのか」
といった質問が飛び出す。

右も左も関係なかった若松孝二の作品への姿勢。
常にあった「対権力」という姿勢。
イデオロギーではなく、個として
演じる対象に向かっていったキャストたち。
言葉が次々と語られていった。

途中で1時間のメイキング映像を見ながら
キャストやキャメラマンが語る生オーディオコメンタリーも。
時に罵倒されるキャストやスタッフ、加速していく若松孝二。
それを共に見つめつつ、当時を思い返し、言葉を挟む。
「これ、当日の朝に打ち合わせしたことが、現地に行ったら
 監督の頭の中で、何もかも変わっていたんです」
「あさま山荘にみたてた監督の別荘を最初に壊した瞬間
 監督、すごく不機嫌になったんですよ、予測はしてましたが」
現場での監督は、ほとんど常に理不尽で、言葉足らずで、
時にみんなを置き去りにして暴走していこうとする。
その背中に、追いつこうと必死になればなるほど
若松組の現場は加速していくのだ。

メイキングを見終わった後も、ティーチインは続いた。
「海燕で演じた3人の男は、それぞれ、自分の内側にあるものなのか」
「監督と飲む時、どんな話しをしていたのか」
「ほかの現場にはない、若松組ならではのエピソードは何か」
次々と、客席から手があがる。

「自分の内側にないものは演じられないから
 それは、どこかしら、自分の中にあるものを
 デフォルメして演じてるのだ」と地曵が言うと、
「いや、そんなこと、あるわけないでしょ、
 あの警官の言動、僕の内面とどこも一致しませんよ」と
大西が返し、場内が沸いた。
「海燕は特別な現場だった。三島が終わった後
 アラタ、遊ぶぞ、と声をかけてくれたのだけど
 本当に、こっちが本気でやればやるほど
 監督は嬉しそうに笑ってたんです。
 監督の笑い声が基準になっていた現場は海燕だけ」
と井浦が海燕のロケの特殊性を話すと
地曵が
「三島とレンセキの、いろいろな要素をはずしたら
 海燕になる、と言った人がいたんだけど
 なるほどな、と思った。
 監督はずっとずっと、真面目に一生懸命なんとかしようと
 もがいていって、でも、どこにもたどり着けずに
 破れていく存在を描いてる。
 それは、今の時代、どうにかしたくて、どうにかしようとして
 それでも、どうにもできない、というような
 その閉塞感を、ずっと描き続けていたんだろう、と」
レンセキや三島と全然違うようにみえる「海燕」も
実は、若松孝二が50年間の監督人生で執拗に描き続けたテーマの
延長にあったことを語った。

若松孝二と飲んだ時の話題の話しをしているとき
「監督は、映画マニアじゃないんです。映画をつくることが好きなんです。
 だから、飲んでいる時も、次ぎに何が撮りたいとか
 そういう話しをしてます」
「こういうシーンはどうやったら撮れるかな、といった話しもしますね」
と、次々と語られる若松孝二の姿は、全て現在進行形になっていた。

「スタイリストもなく、メイクもなく、役者に自分で衣裳を探させる。
 若松監督のそのやり方は、予算の問題ももちろんあるけれど
 それ以前に、役者を、そこまで対象にアプローチして
 考えていかなければならない状況に置くということ」
「考える前に全てが用意される現場も少なくないけれど
 ものを作るという意味で、どちらがスタンダードかと考えると
 後者は、ごく最近できたものではないか」

3時間、あっという間だった。
話しは尽きなかった。
若松孝二の姿は見えないし、声は聞こえなかったけれど
話しの端々に出てくる、現在進行形の若松監督のエピソード。

若松監督は、生きている。
時折、耳にしていたその言葉の意味が、
少し腑に落ちた。

監督は、どんな逆風が吹いている時でも、
自分でできることを、地道に続けてきた。
晩年は華やかな舞台が多くなったが、それはほんの数年のこと。
持ち上げた世の中が手のひら返すこともたくさん見て来た。
それだけでしかないのだと、冷静だった。
だから、今の選挙結果には仰天しつつも、
怒りを忘れずに、続けて行けばいいだけだと、監督は言うだろう。

キネカ大森イベントは今月28日まで。
その後は、監督も大好きだった
「旅芸人の記録」を年末年始に上映するという。

2012年12月18日

満島真之介に報知映画賞新人賞

本日、プリンスパークタワーホテルのコンベンションホールにて
第37回報知映画賞の授賞式が行われた。

「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」で
森田必勝を演じた満島真之介が、新人賞を受賞した。
この喜ばしいニュースが若松プロに飛び込んできた時
監督はすでに、この世にいなかった。

満島真之介は、この作品が映画初出演だった。
ロケの現場では、最初から最後まで、監督に追い込まれ続けていた。
「幼稚園児みたいな芝居をするな!」「役者やめちまえ!」
「なんで、そんなことができないんだよ!もう二度と使わねえぞ!」
「お前のせいで、どれだけ損してると思ってるんだ!」
衣裳を着ていれば「いつまで着ているんだ!」と怒り
衣裳を脱げば「なんで脱いだんだ!」と怒る。
どうしてそこまで……というほど、真之介を追い込んだ。
普段、撮り直しを極力嫌う監督が、何度も何度も真之介にやり直させた。
頭の中を真っ白にさせて、追いつめ続けて、あの森田必勝が生まれたのだ。


新人賞の発表とともに、本編の映像が流れた。
サウナで、三島に決起を促す森田の顔がスクリーンに映し出された。

その後、壇上に立った真之介は、
「久しぶりに、監督が撮った自分の顔を観ました……」
そう話した瞬間、真之介の顔が崩れそうになった。
現場でたたきのめされた時間、完成した作品を持ってともにカンヌへ行った時間。
真之介の頭の中に、監督との膨大な時間が瞬時に甦ったに違いない。
しかし、すぐに気持ちを立て直し、真っ直ぐ前を向き、
現場での監督がいかに怒りに満ちていたか、
そして出来上がった作品と監督への思い、
監督から受け取ったものについて語った。
続いて、お祝いのコメントを述べるべく、
共演者で若松組の先輩である大西信満がマイクを握った。
「今、ここにいる誰よりも、そして真之介のご両親よりも
 誰よりも喜んでいるのは、間違いなく若松監督のはずだ」

この華やかな祝宴の席に、若松孝二の姿がいないことに、
一瞬、途方に暮れる。
しかし、若松孝二の現場で、その檄を浴びた俳優たちが
今、壇上で、きれい事でも美しくまとめた言葉でもなく
ただ剥きだしの感情を、そのまま監督に向けて差し出している姿が
本当に嬉しかった。

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2012年12月25日

安吾賞、バンザイ!

12月20日、ホテルニューオータニの宴会場にて
「安吾賞」受賞者発表会なるものが開かれた。

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紛らわしいが、授賞式とは違う。
受賞者が決まりましたよ、という発表会であるという。

監督の生前、「安吾賞が贈られます」との通知が届いたのは
残暑も落ち着いて来た頃だっただろうか。
名前は知っていても、読んだ事もない作家の名前の賞。
「何で俺に?」とぽかんとしていた監督。
とはいえ、漏れ聞こえてくる安吾にまつわる様ざまに
面白そうだな、と満足げだった監督。
受賞を目前にして、いきなり逝去してしまったけれど、
審査委員満場一致で、予定通り若松孝二に、という運びになったという。

冒頭、新潟市長が「生きざま賞ともいうべき賞は
若松孝二さんにこそふさわしい」と挨拶を述べ、
続いて選考委員長の三枝成彰氏が登壇し
「若松さん一貫して立ち位置が変わらなかった。
 金があるとうまくいかないと言っていた通り
 なるほど、そうなんだろうな、という時もあり
 大金をもらって時に失敗するというかわいらしさもありつつ
 向かう方向は常に曲げなかった。
 反社会的なまなざしを保ち続けた若松さんは
 この賞を絶対にもらわねばならなかった人だ」と語った。

こうした冒頭の挨拶を受けて、壇上で言葉を述べるべきは
本来であれば監督本人であるが、監督はもういない。
そこで、若松孝二に替わって
長年、若松作品に出演し、監督と深くつながり
新作「千年の愉楽」にも出演している佐野史郎が登壇した。

開口一番「まだ、亡くなった気持ちがしない。
現場での感情が思い出されてしまって
監督と飲みたくなってしまった」と佐野。
「ウソをつくな、フリをするな、本気でやれ、と迫り
ぬるくなるとすぐ見抜かれた」と監督の演出を語り、
監督との最後の時間となった、今年8月の湯布院映画祭を振り返った。
「あれが、サシで飲んだ最後になった。
 旅館の同じ部屋に泊まって、夜中までエチュードのように
 芝居のレッスンをつけてもらった、夢のような時間だった」

「監督と並んで座ると双子のようだった中上健次さんは、
優劣で区切ろうとするものや権力にいかに立ち向かうかという
監督のポリシーと重なっていた。
この作品は、中上作品なんだけれど、若松さんの眼差しでもあり
そこを行ったり来たりしている面白さがある」と
新作「千年の愉楽」の事を語った後、
監督が「クマ、クマ」と愛情込めて呼んでいた
鉄のゲージツ家・KUMAこと篠原勝之もステージへ。

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監督を「アニキのような存在」という篠原は
冒頭から、等身大の若松孝二のエピソードを次々披露。
「死んじゃうと、なんでもかんでも、いい事ばっかりに
 なっちゃうからネ」と言うと
佐野史郎も深くうなずく。
「クランクアップ後、感情をどうしようもできなくて
 ベロベロに酔っぱらって、「若松を殺す!」って
 新宿中を捜し回ったりね。で、翌日にはその情報が
 監督の耳に入っているという」
「俺は、若松さんには、あと3本くらいは撮って欲しかったよ。
 あっちにいっちゃってても、いいよ、
 映画を撮りにこっちに帰って来られるならば」
と、二人は監督へのラブコールを送りつつ、
監督たちとのゴールデン街での下ネタなども披露し場内を沸かせた。

最後は篠原が「俺はね、監督が死んでからずうっと
ここ(胸)のあたりがモヤモヤしてるの。
だからね、もう、吐き出したいんだよ」と言うなり
マイクを床に置いて、「バンザーイ!」と叫んだ。
つられて、会場中がみな、両手を高く差し上げて
「バンザーイ!バンザーイ!バンザーイ!」

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みんなで万歳三唱をするとは思わなかった。
胸の中につかえたモヤモヤは、思いがけないバンザイでも
スッキリすることはなかったけれど
しかし、美辞麗句を語りはしない、佐野、篠原の二人が
監督の写真の前で、その思いのたけを伝えようとしてくれた
その事が、心底嬉しかった。

安吾賞の正式な授賞式は、来年2月23日、新潟市内にて。

2012年12月26日

1月6日、三重県にて「千年の愉楽」初上映!!

年の瀬、慌ただしくなってきた。
若松プロも、慌ただしさを増してきた。
来年、いよいよ、「千年の愉楽」が公開になる。
若松孝二、最後の叙事詩。

全国どこよりも最初に、
「千年の愉楽」がスクリーンに映し出されるのは
お正月明けやらぬ三重県の文化センターである。
この作品は、三重県尾鷲市須賀利という集落で撮影された。
昭和の薫りが色濃く漂う集落。
その年月を経た風景の存在感が、作品に大きな力を与えた。
監督は、感謝の気持ちを現したくて
まず三重県で先行上映会を行うことにこだわった。
今年の夏、監督自ら三重県知事に直談判しに行き、
その場で決めた上映会だった。

先行上映会の概要は以下。
1月6日(日)三重県総合文化センター(JR津駅近く)にて
10時/13時30分/17時
当日券のみ。1000円。
(※9時30分開場と同時にチケット販売開始予定)
当日は、高良健吾、高岡蒼佑、佐野史郎、井浦新が挨拶に立ち
各回の上映後にトークイベントを行う。
初回上映後には、三重県知事の挨拶も予定されている。

全国最初のスクリーン上映、
監督は、観客の前に立ったら、どんな挨拶をしたのだろう。
監督が「千年の愉楽」上映後に観客と会話を交わしたのは
湯布院映画祭とベネチア国際映画祭の2回だけだった。
そのときの様子を、佐野史郎、高良健吾、高岡蒼佑らから
聞きたいと思う。
いずれにしても、監督のまなざしは、作品の中に焼き付いている。
それを、ロケ地三重で、お客様とともに目撃するのだ。

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