書籍『若松孝二 実録・連合赤軍』(朝日新聞社刊・2月発行予定)より抜粋


田原総一朗
  (ジャーナリスト)
十四人の同志を“総括”というたてまえで死に至らしめた連合赤軍事件。この事件については触れないが、狂気の沙汰と切って捨てるのが常識となっていた。いづれも“逃げ”である。私は全共闘世代が、彼らの行動を総括しないまま老いようとしているのは連合赤軍事件という“闇”を切り開く勇気がないためだと考えている。私自身、“闇”に挑む勇気に欠けていた。若松孝二は、それに真っ向から挑み、非情なまでに凝視した。目をそむけたい画面がこれでもかこれでもか、と三時間一〇分続く。若松に屈してはならないと両手を膝の上で握りしめながらやっと見終えた。しんどいが目をそらしてはならない映画である。

鈴木邦男  (政治活動家)
連合赤軍事件は巨大な「闇」だ。僕らは巨大な「闇」の前で、躊躇し、足がすくんでいたのだ。だが、監督は「闇」の中に飛び込んだ。地獄に光を当てた。「ほら、どこにでもいる普通の若者じゃないか」「夢や理想を持って社会を変えようとするひたむきな若者だ」と。その若者たちが何故、あそこまで行ったのか。それを執拗に追う。(中略)「目を見開いて、しっかり見ろ。ここに真実がある。ここに歴史がある!」と。

森 達也  (映画監督・ノンフィクション作家)
若松孝二は、俺が撮ろうと決意した。正しいか間違っているかなどの二項対立に興味を示さない。当たり前だ。この世界はそんな単純にはできていない。人はそんな単純には作られていない。歴史をもう一度作り直す。その壮大な叙事詩を、あなたは絶対に目撃すべきだ。

 
 

船戸与一 (作家)
若松孝二がこの作品で描いたのはそういう時代状況であり、それに立ち向かおうとした若者たちの存在としての哀しさである。そこには特定の党派や組織にたいしての肩入れや嫌悪は毫も感じられない。濁流のなかでずたずたに切り刻まれていく精神。非情なまでに凝視されたのはそういう熱板のうえで悶え苦しむ魂の生態であり、それにたいしての哀悼の意が剥きだしにされたのである。

中谷健太郎  (湯布院『亀の井別荘』主人)
息つく暇もなかった。気がついたら映画が終わっていた。3時間10分。それで、どうだったか?乱雲を突っ切った気分だ。何を見た?判らない。しかし突っ切った実感はある。苛々した。情けなかった。腹立たしかった。可哀そうでもあった。怒りが湧いた。

四方田犬彦  (明治学院大学教授)
1972年2月に生じたあの銃撃戦と、その後に判明したリンチ殺人事件については、これまでにも映画化がなされてこなかったわけではなかった。だがそれらは正面から事実を直視することなく、権力の側の証言だけをもとに「国民の敵」を退治するアクション映画であったり、惨劇に仏教的救済を与えるメタ映画であったり、またキッチュ趣味のスプラッター映画ではあっても、ベンヤミンのいう服喪の作業とは無縁のフィルムであった。ただ一人、若松孝二だけが、35年前に生じたあの一連の事件を、メロドラマの誘惑からも距離を置いたところから直視しようとした。ひとたび完結したといい倣わされ、ノスタルジアの深い霧のなかに埋没してしまった感のある時代に対して、いまだ何も解決したわけではないのだと、声を大にして叫んでいる。わたしの知るかぎり若松に匹敵しうるのは、イタリアのパゾリーニと西ドイツのファスビンダーを数えるばかりである。偶然ではあるが、この3人はともにかつての枢軸国に生を享けており、それは彼らが生涯の敵とした対象がポストファシズム社会の権力構造に他ならないことを如実に示している。

平岡正明 (評論家)
遠山美枝子は美しい女だった。鏡の中の醜く腫れ上がった顔が自分だと認識してからの数秒の、哀しい悲鳴が、試写会の椅子で見ているだけでもつらかった。遠山美枝子に扮した女優さんが哀しい経験をしたことがあるのか、あるいは女という存在の核には他からうかがい知れない哀しさがあるのかはわからない。しかし若松孝二という映画監督の凄味については、二、三のことが俺にも言える。その創造力の残酷さは、さすがに『日本暴行暗黒史・異常者の血』の監督だ、というのではことの半分、三時間にわたる『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』は暴力の作家若松孝二の、残酷シーンにおいても頂点と言うべきだ。

浅野 潜  (映画評論家)
壮絶というにはあまりにも悲惨な死の連続。60年6月15日、国会前広場に10万人のデモ隊を集めた日米安保反対闘争での樺美智子さんの死。戦後史の中で起きた学生運動を契機に引き起こされたさまざまな事件の真相が、ラストのあさま山荘での実弾を使用した警察との戦闘への道程の再現として描き出されて驚嘆させられる。(中略)若松孝二は戦後日本の中にあった人々の深い溜め息を誠実で完璧に描いている。戦後の日本映画史に残る成果である。

椎井有紀子  (映画プロデューサー)
あれから35年 。この時の流れの中で学生運動を、労働運動を、そして住民運動を多少なりともかじっていた私の心の中に沈殿していた闇が、一機に噴出したのは「実録・連合赤軍」の完成試写を観た暗がりだった。何故か涙が止まらなかった 。溢れ出た涙で目がかすんだ 。

趙博  (歌劇派芸人)
『実録連合赤軍』が描く「総括要求する側」と「総括という名で殺害・処刑される側」、僕はどちら側にもなる可能性を孕みながら学生運動圏にいたのだ。この映画が描くのは単なる時代の風景ではない。「理想の名の下に人間は如何に誤りを犯すか」という普遍的問いである。僕の<総括>は終わっていない。いや、終わり得ないかもしれぬ…故に、寒々としながら、刮目して映像を見据えたいと思う。

塩見孝也  (元・赤軍派議長)
「当事者」の僕としては、このような映画を、亡くなった同志達、今も獄で苦しみながら不屈に闘い続けている同志達、傷ついて今も彷徨している人々、外国の地で、祖国日本を憧憬しつつも、帰れず、今も苦闘している同志達、連合赤軍事件の真相を知りたいと真剣に調査、研究している若い人達に対する、何よりものはなむけ、鼓舞激励の作品と解したいと思います。

重信房子  (元・日本赤軍リーダー)
かつて私は、大学のバリケードの中の若松映画のオールナイトを見たことがある。「極致的」シーンになると「映倫カット」で空白のままのフィルムが続いて何も映らない。観客は「ナンセーンス!」と叫びながら共感した。ならば、あのように出来ないか?! 「極致的」シーンは、ブランクでいい。見れない……。近しい人程そう思うだろう。だからこそ痛みをのりこえて見てほしい。「連赤」は今も風化させてほしくない私たち一人一人が問われた時代の証であり、開けてほしくないパンドラの箱だ。ヒューマニズムのない革命は存在しない。勇気あるヒューマニストは、やっぱり目をつぶって、「実録・連合赤軍」を見るだろう。

雪の降る日に巡る思いはあの時に
      なぜ我でなく君だったのか
        (「ジャスミンを銃口に」より)


植垣康博  (元・連合赤軍兵士)
実際に起こった事実を映画化するとき、なによりもそれを歴史的に描くことだろう。実際、「連合赤軍」をそれ自体として、歴史的背景を抜きにして描くことほど馬鹿げたことはない。それでは、連合赤軍がなぜ誕生し、どうして自滅としかいいようのない結果に至ったのかを考える糸口さえつかめない。
その点で、若松さんの『実録・連合赤軍』は、歴史的な流れをていねいに追求している。ともすれば、「仲間殺し」だけが強調される連赤が、けっしてそれを目的にしていたわけではないことを、全体の流れの中から明らかにしようとしていること、しかも敢えて実名を出すことによって、それぞれの人物がどのように振る舞い、生きようとしたかを描こうとしていることが最大の特徴ではないかと思う。これは、赤軍派、特にその後の日本赤軍と関わりを持っていた若松さんだからこそ出来たことだろう。

杉本真一  (テレビドキュメンタリー制作者)
老成と青春は 背反するものではない。この映画が「ノスタルジア」の焦点を結ぶであろうことは否定しないが、青年にこそ 見て欲しいと切に願う。当時の青年達の当時の親世代の実年齢に成り果てた我が身を思えば、坂東國男国外逃亡犯の自決した父親をまず想う。
同志によって殺害された犠牲者の遺家族を想う。銃撃戦の犠牲者となられた市民・警察官の遺家族を想う。そして、森・永田・坂口らの骨肉をも想うのである。
「連合赤軍」。老成するなく閉ざされた青春の意味を、これほどのメッセージとして創造し得る監督は 若松孝二 その人をおいて 他にはいない。 
連合赤軍を描く映画ではあるが、「苦悩する青春」の「絶望と希望」を かくも普遍的にかくも深く思索する映画は 稀有である。


桑原茂夫  (『ルイス・キャロル』編集長)
若松孝二監督の映画『実録・連合赤軍』を見ることができた。1972年に、あさま山荘で警察との銃撃戦を敢行、逮捕後、凄惨なリンチ殺人事件が明るみに出た、あの連合赤軍を描いた映画だから、当然のことながら重い。その重さの根幹には「国家」がある。若松監督がずっと抱え続けてきたテーマである。国家とはどういうものか。それに拮抗するには、一個人といえども心身ともにゆるぎのない重装備が要求される。その重装備は時には大いなる時代錯誤に見えて失笑を買う。罵倒冷笑を浴びせられるのがオチというべきかもしれない。そのような地平に真っ向から切り込んでいったのがこの映画であり、若松監督の、私財を投げうっての映画作りには鳥肌が立つ。もしかしたら、連合赤軍になんの記憶も持たない若年層の心胆を寒からしめるかもしれない。

喜多匡希  (映画ライター)
私の青春期は平成に、連合赤軍メンバーの青春期は昭和にある。その隔たった時代を踏まえて本作を語る時、私が最もこだわるのは、本作が史実を映画化した実録作品であるということ以上に、本作が傑出した「青春映画」として屹立しているという事実である。1968〜1972年の出来事を、なぜわざわざ2000年代の世に再現して送り出すのか? そこには清算という意味合いももちろんあろう。若松孝ニは、本作の製作にあたって、「俺はオトシマエをつける。真実を伝えたいんだ」という言葉を残している。この「オトシマエ」という一語に込められた思いは深い。しかし、時代は常に動き、その姿を変えていくものだ。普遍的な<何か>がなければ、時代を超えて映画化する本質的な意味など求められないであろう。「若松孝ニが一般から製作費を公募してまで、今、連合赤軍を映画化する必然性とはなにか?」 
その答えが<青春>というキーワードにある。この時代に青春期を送っていた人々が、口々に本作を軸とした青春懐古に花を咲かせていたのと同じ熱情を、きっと今の若者も共有することができるに違いない。時を経て時代が変わり、流行やスタイルが変わろうとも、<青春>というキーワードは普遍性を有している。「正しい」とか「間違っている」とか、そういうことが重要なのではない。政治不信・政治無関心と呼ばれて久しい現代日本に、本作が出現した事実こそが重要なのだ。

 
 

 

 

古川俊治  (映画評論家)
浅間山荘闘争は権力の内輪モノ・プロパガンダとして作られた「突入せよ」の対局として、映像は山荘内の一部始終を余すところなく描ききっている。これこそが映像作家として生きてきた若松孝二の立ち位置である。「実録」なのである。加藤三兄弟の若き戦士の「叫び」が我々に現実を突きつける。そして、ここにも厳しく佇む浅間山が描き出される。

ジム・オルーク (音楽)
1960年代という時代には、自分が関係していると実感できるのです。それはなぜなのか。また、自分が初めて『天使の恍惚』を見たときに感じたガッツは何なのか。それがどこから来るのか。(今回の作品づくりを通して)若松さんから学びたかった。


橋本克彦 
(ノンフィクション作家)
若松監督は慟哭しているのだ。それは彼らの思考の全量をはるかに超える質量の慟哭である。無限の、底知れぬ悲哀とは、彼らが自分たちの行為を正しいと思っているからである。この無残。よかれと思ってはじめながら最悪の行動をとることをしばしば行ってきた人間の、これもまた人類史を貫徹する悲哀に、この映画全編が慟哭している。

 

(C)2005『実録・連合赤軍』制作委員会